2011年08月06日

樋本監督より、メッセージが届きました。「松田直樹様」

松田直樹様

あなたが信州という美しい新天地を目指してから約七ヶ月、そして、さらに別の場所へと移られてから一日が経ちました。そちらの様子は、いかがでしょうか? 信州よりも美しい風景があることに、少し戸惑っていらっしゃいますか?

あなたが、高校を卒業してプロになった1995年は、横浜マリノスにとって素晴らしい年でした。Jリーグ3年目にして初めてチャンピオンに輝き、しかもサントリーチャンピオンシップの相手は永遠の宿敵(私は今でもそう思っています)である「緑のチーム」だったからです。12月の冷気の中で観た国立競技場での感動は、今でもよく覚えています。ルーキーだった松田直樹、安永聡太郎、2年目の川口能活…。皆、とても若かった。

それ以降も、毎年欠かさず、あなたのプレーを見続けてきました。「マイアミの奇跡」があり、「F」の問題があり、「フラットスリー」があり、八年ぶりの年間チャンピオンがあり、連覇がありました。その間、私の人生は紆余曲折ありましたが、あなたはチームの不動のセンターバックで在り続け、いつしか「ミスター・マリノス」になりました。

2007年の、伝説の「ナビスコカップ」でのGK姿も、等々力陸上競技場で拝見しました。不甲斐ない準決勝敗退も、「直樹のGK姿を観た」ことで、不思議に吹っ切れた思いがしました。

年間チケットを購入したにもかかわらず、チームが不振に終わった時も、ホーム最終戦であなたがゴールを決めることで、何故か後味の良いものとなりました。

そんなかけがえのない選手を「戦力外通告」したチームに対して、昨年12月のホーム最終戦には怒りを持って赴き、社長と監督の挨拶を打ち消す「直樹コール」にも参加しました。

そして今年初め、あなたの「JFL」移籍には本当に驚きました。横浜マリノスで、日本代表で、常にブルーのユニフォームだった松田直樹が、宿敵のカラーである「緑」を着るなんて…。ただ、私には不思議な縁があり、その「緑のチーム」をあなたより先に知ってました。その地に素晴らしいサポーターがいることも、「ヴェルディ川崎×横浜マリノス」に匹敵する素晴らしいダービーがあることも知っていました。

4月、妻と3歳の息子を連れて、まだ寒さの残る松本市へ「信州ダービー」を観に行きました。一万人を超える観客、スタジアムの外に連なる山々、そして、大声で指示を出しながらラインコントロールをする松田直樹…。その時、「アルウィン」は、「シアター・オブ・ドリームス(夢の劇場)」でした。

いま、私は、疋田さんや洋平くん、シンさんをはじめとする「ウルトラスマツモト」の皆さん、そして「まるちゃん」と同じ、張り裂けるような胸の痛みを感じています。この痛みは大きすぎて、たとえ痛みが去った後も、大きな空洞を残すでしょう。私は、この胸の空洞を、「プロサッカープレーヤー松田直樹」の偉大さの象徴として、生涯大事にしていきたいと思います。

本当にありがとうございました。長い間、お疲れさまでした。

映画「クラシコ」監督/横浜F・マリノス サポーター
樋本 淳 2011年8月5日
posted by clasico at 08:51| インフォメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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